管理人ひろじぃの自己紹介。
初めまして、ひろじぃです。自分の名前がヒロキなので、オヤジとかけてひろじぃです。

現在37歳既婚者です。そして今年(2009)の四月からこの歳にして何と、東京大学文三の一年生になります。

私は高校へ行っていません。大検取得後、独学で慶応大学には合格しましたが、諸事情により中退してしまいました。

ここでは、私の自己紹介と言いますか、これまでの生い立ちを書いてみようかと思っています。

私は中学校時代、よくあるようなイジメにあっていて、誰も知らない自分になりたくて大検の道を選びました。

現在の高卒認定も、それ程認知されているとは思えませんが、二十年以上も前、大検は一般にはあまり知られていませんでした。

所属する場所を無くしてしまった私は、社会の枠組みから外されたような不安の中、不良になる勇気もなく、漫画やアニメの世界に逃避していました。

(今考えると信じられないのですが、当時流行っていた「聖闘士星矢」という少年漫画を読んで、「ペガサス流星拳!」と叫びながら電柱を叩き、手の骨にヒビを入れてしまった事もあります。はっきり言って単なるアホでした)

そんな漫画オタクだったので、当然のように当時のジャンプで人気のあった北斗の拳やドラゴンボールにはまり、これまた当時の青年なら常識のように(!?)「気」に興味を持つようになり、様々な気功道場や合気道等の門を叩きました。

勿論、気功を始めたのは漫画の影響だけではありません。私は中学生の体育の授業で腰を痛め、椎間板ヘルニアになっていました。中学生なのに腰痛持ちで一時間も座っていられないような酷い状態だったので、気功の力で何とかならないものかという切実な願いもあったのです。

ただ、「気功に夢中」なんていうと、周囲から更に怪しい目で見られてしまった為、カモフラージュと手に職をつけたいと思い(既に十八になっていたので、そろそろ世間体も整えないとマズくなっていたので)、鍼灸の学校に通いました。学校は激しい腰痛と戦いながら何とか卒業しました。

卒業後は気功一筋でした。働いていない時間は全て気功のトレーニングに費やす毎日でした。

そしてちょうど同じ頃、好きだった女性の気を惹きたくて、当時偏差値四十程だったにも関わらず、粋がって慶應大学受験を宣言しました。

偏差値は低かったものの、大検の時に掴んだ勉強のコツと慶應に絞って勉強したお陰で、一年半ほどの独学で慶應文学部に合格する事ができました。

最初は好きな人の気を惹きたいだけという不純な動機で受験した慶應でしたが、いざ合格すると周囲の目が急に変わって驚きました。

高校を中退してから人目を避けるようにして、ひっそりと暗い生活を送ってきた私の人生が急に変わり始めたのでした。

二十五歳にしてようやく、初めて彼女ができ、初めてのチューもしました(これは自慢にはなりませんね…。でも、まぁ二十歳くらいで彼女のいない人が安心してくれれば恥を晒す甲斐もあるかな。ただ、なぜか初体験の相手はプロ…。本当は、すっごく笑える話なのですが、あまり書くと18禁になりそうなので自粛しますっ!)

さらに同時期、塾講師のバイトで勉強を教えるうちに、勉強自体よりも勉強の仕方を教えたいと思うようになり、独学支援サイトを作りました(ただ、この頃は慶應に受かって有頂天になっていた事もあり、虚勢はりまくりで、今見ると恥かしいので今では削除してあります)。

良い事づくめの慶應生活でしたが、腰痛の悪化や経済的問題もあり、やむなく中退してしまいました。

ただ、中退でも慶應の肩書きは役に立ち、サイトの広告収入やネットショップをやりながら、安心して気のトレーニングに励んでいました。気功を始めて十年を過ぎた頃から、徐々にトレーニングの成果を感じるようになり、年に数回起こっていた一週間位寝込むような腰痛も起こらなり、僅かながら蓄えもできたので結婚をしました。

そして三十五歳の時、最後の挑戦として、東大受験を志しました。これまで大検や慶應、それにサイトの企画で行政書士や宅建などの日記形式の受験体験記をやっていたので、勉強法は大分掴んだつもりでいました。気のトレーニングも大分コツを掴み、一日一時間程度で済む(これでも普通からすると、十分変人扱いされそうですが、私としてはいつか「気の治療家」になりたいと思っているので、これだけは譲れません。東大の受験日も含めて、この十年ほどは一日たりとも練習を休んだことはありません)ようになっていたので、受験の環境は整いました。

しかし、勉強を始めてみてすぐ東大受験の大変さを思い知らされました。受験科目の多さは勿論のこと、早くも「老化現象」に悩まされるようになったのです。若い頃は当たり前に出来た計算や反射能力が、急激に衰えていることを実感する羽目になりました。(自分ではまだまだ若いって思っていた筈だったのですが、こう思っていた時点で既にオッサンなんですよね…トホホ)

基本的には独学でしたが、ペースメーカーとしてZ会教材や予備校の模試も利用させていただき、何とか力技で一次試験は突破したものの二次試験落ち。正直、二年目を予定していなかったので、金銭的にも苦しくなり諦めようとしたのですが、届いた成績を見てみると十点ほどの差のA判定。
(東京大学は現在、二次受験生に対し合否に関わらず得点開示を行っています)

それを見て諦めるに諦められなくなってしまい、カミさん協力のもと、貯金を切り崩して最後まで生活が続けられるかという崖っぷちのプレッシャーの中、死ぬ気で勉強しました。

試験が近づくと毎日のようにうなされ、冬なのに汗がびっしょり。この二年で一気に白髪だらけになってしまいました(涙)

ですが苦労の甲斐もあり、二年目の今回、無事合格する事ができました。ただ、入学金を払ったら、ほぼ貯金が底をついてしまいました。当初は大学に受かって、経済的に苦しくなったら中退でもいいやと考えていたのですが、東大受験の苦労を身を持って知る中で、私のようなオジさんが受かってしまった事で、同じように或いは、私以上に努力していた人のチャンスが失われてしまったのかもしれないと思うと、何としても卒業しなければと思っています。

今回東大に合格した時、高校を中退した時に味わった苦い経験が、この事を知るためにあったのかもしれないと強く思いました。

挫折して一時的に世の中を恨む事があっても、必死にやっていればいつか道が開けてくるものなのかなと、お恥ずかしい話ですが、この歳になって改めて色々な事に感謝するようになりました。

っと、そんな堅苦しいセリフは性に合わないのですが、それだけ私にとって東大は大変でした。今回の合格も、自分の実力で勝ち取ったよりは、「戴いた」という方がしっくり来ます。合格発表を見た時も、喜びよりも先にホッとして脱力してしまいました。

もっとも、真面目に通学したいだとか卒業したい等と言っても、実際にはお金がなくては、どうにもなりません。これまでも、金の為に様々な仕事をしてきました。一時官能小説を書いていた事もあるのですが、また書くかも知れません。ただ手段はどうあれ、環境を整え、できる限りの努力はしたいと思っています。

さて、四月から本格始動予定の関連ブログ「三十代オヤジの東大キャンパス日記」では、そんな三十を過ぎたオジさんの視線から東大生の生活をお伝えしたいと思いますので、どうぞお楽しみに!

ちなみに私は東大史上一番出来の悪い大学生になるかもしれません。果たして必死に通っても卒業できるのだろうか……。

ですがこれからも、前向きに頑張っていこうと思っています!

2009年3月

テーマ:大学受験 - ジャンル:学校・教育

[2009/03/18 09:08] | 日記 | page top
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