スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 | page top
時間
昨日、弟に会い、二十数年という時間を経て和解出来たのは、弟の寛容さと共に時間の力そのもののおかげでした。時間が経過することによって、当時は消化できなかった様々な感情が整理されたのですが、当然ながら、二十数年前と同じような気持ちになっても、体はその時とは同じではありません。老いだけでなく、その人に付随した社会的な立ち場みたいなものも同じかもしれません。

東大に通うようになって、自分より二十年位若い人達と一緒にいる機会が増え、どこかで自分も彼らと同じような気持ちになってしまうこともあります。と言うより、きっと若いうちは想像できないと思うのですが、気持ちや心みたいなものは、実は体ほど老いるものではありません。「体は大人になっても少年の心は忘れてはいけない」と言う言葉もありますが、あえて「いけない」などと言われなくても、実際には多くの大人の中に子供の心は残っています。ただ、それを出してはいけない社会的な倫理や常識があるため、そう振舞えないことも多いのです。

ネットで年齢や経歴を隠していたりする人と話していると、たまに自分よりすごく年上の人を自分より若い人だろうと思い込んでいたり、逆に年下を年上と思い込んでいて驚く事があると思うのですが、歳をとっても心は変わらなかったりします。勿論、歳をとることによって分かってくることも沢山あるのですが、それは心とはまた別の種類のものだったりするのですよね。

たまに、色んな縛りから逃れて、二十歳位の人達と同じようになりたいと願うことがあります。彼らの側にいると、何とも言えない感情と歯痒さが芽生え、心が引き裂かれそうになることもあります。でも現実にはその違いは踏み越えられないし、踏み越えさせてももらえません。

昨日のブログで、「時間は偉大」という話を書いたのですが、同時に「時間は残酷」でもあり、その残酷さの前では自分の無力さを思い知らされます。人によっては贅沢な悩みだと取る人もいるかもしれません。ただ、日々の幸せなど様々な事に感謝すると共に、この感覚は大学に入ってから身にしみることが多かったので、今日は何となく書いてみたくなりました。きっと私くらいの年齢、三十五歳位から上の方は、なんとなく分かって下さるのではないでしょうか。

と、少し暗くなってしまいましたが、たまにはオジサンの嘆きと言うことで(笑)

テーマ:日記 - ジャンル:日記

[2011/03/06 18:59] | たまには真面目に | page top
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。