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核の時代
福島の原発が大変なことになっていますね。東京でも一時通常の20倍以上の放射線が観測されたそうです。

私は普段、もう人生の半分は生きているし、交通事故や通り魔など痛いのは嫌だけど、死んでも仕方ないかな…という気持ちでいます。もちろん、やりたい事や欲しい物、好きな人達など未練がないと言えば嘘になりますが、それでも十分生かして貰ったかなって感謝してます。

…とは言うものの、まだ老衰を覚悟する年齢でもないので「寝たら明日の朝が来ないかも…」という経験はありませんでした。

ところが12日の深夜のニュースで、福島の原発事故が国際原子力事象評価尺度レベル4、それに炉心融解の可能性を伝えているのを聞いて「寝たら明日の朝は迎えられないのかもしれない…」という恐怖と言うか、切なさみたいなものを初めて感じました。

12日の時点にしては多少大袈裟なまでに感じてしまったのも、私が十代だった1980年代は、米ソの対立から核戦争の恐怖が声高に叫ばれていた時代でもあり、核戦争へのカウントダウンを引き起こしてしまう映画「ウォーゲーム」や核戦争後の世界を舞台とした漫画「北斗の拳」が人気となり、実際1986年にはチェルノブイリ事故が起こりました。

1990年代になると湾岸戦争に絡んで核の問題が取り上げられ、終末思想の影響でノストラダムスの大予言が流行り、「空から恐怖の大王が来るだろう」という部分が核兵器を表しているのではないかと言われたりして、自称救世主を名乗る人たちが興した新興宗教が盛んだったので、核への恐怖みたいなものが刷り込まれていたからかもしれません。

いずれにせよ、自分に死ぬという感覚がないまま明日が来ないかも、という切なさを感じたまま朝を迎えたので、朝日を見た時は、いつも以上の感動があったのですよね。

こういう感覚って、他の世代の人達も同じなのかな!?

テーマ:東北地方太平洋沖地震 - ジャンル:ニュース

[2011/03/15 20:28] | たまには真面目に | page top
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