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指先で見えるもの
今日の二限は博物館学の授業。先週は身体教育学コースの演習で一限の時間から東大附属中野に行っていなかったので、初回から欠席となってしまった授業です。

正直、博物館は嫌いじゃないし、色んなものを見るのは好きなのですが、学芸員になるわけではないし、学問としての博物館学にはあまり興味はなく、単位のために受講したような講義だったのですが…。

…これが意外に興味深いのです。

ちょっと失礼な言い方だったかもしれませんが、興味惹かれてしまったのも事実。今日のテーマは視覚障害を持った人と博物館の話で、教官曰く「博物館は全ての人に開かれている、と良く言われたり、言っていますが…」と言った内容から始まり、「目の見えない人も芸術を感じる権利がある」と言った趣旨の盲人の方の紹介や博物館の対応などについてでした。

教官の主張したかったのは、目の見えない人に対して芸術作品を触れることができるようにし、指先で見ることが、もっと認められてもいいのではないか、ということだったと思います。また、もっと言えば、目と腕に障害があれば、指先だけでなく舌も使って芸術を感じられるようにしてもいいのではないか(実際に、舌を使っての鑑賞もあるそうです)、使える感覚のどれでもいいから、それを使って芸術に触れる権利が人間にはあるのではないかと言うことでした。

この意見については、個人的には微妙で、教官の意見はもっともだと思うし、障害があっても芸術に触れたいと思うのは当然だと思います。一方で、多くの芸術家は、視覚を通して見られる事を前提に芸術を作っているはずなので、視覚以外での見方は想定していないでしょう。きっと、視覚以外での鑑賞を考えていれば、他の形や構図になる場合も多いのではないかと思います。芸術家の性格次第かもしれませんが、それを歯痒く思う人もいるでしょうし、どんな形であれ作品を少しでも多くの人に見て貰いたいという人もいると思います。

ただ一つ言えるのは、目に見えだけが感覚ではなく、指先でこそ分かるものがあると言うこと。

江戸時代から政策的に鍼灸は盲人が行うことが多かったですし、按摩や指圧も視覚特別支援学校を中心に技術の習得が行われてきました。

私は、道具を使わずに治療したり、癒したりできるのが理想だと思っているので気功が好きなのですが、気を使ったマッサージなどをやると、目で見ていた時には分からない体のコリやクセなどが見えてくることがあります。これは、文字通り見えるという感覚に近くて、目をつむって相手の体に触れているとイメージとして目の前に浮かんできます。しかも、そのイメージはマッサージなどをするにつれ変化し続け、最初は見えなかった深いコリや痛みの原因などが見えてきます。これって、目で見ていても絶対に分からないと思うのですが、こういう感覚って、とても嬉しいのですよね。

それに気の滞った所を、うまく解すとホワッと空気の塊みたいなのが浮いてきて、独特の薄い匂いみたいなのがすることもあります。昔の治療家の中には、汗を舐めて病気を判断した人もいるそうです。





っと、今書いていてふと思ったのですが、もしかして触って芸術を見ていると、最初は分からなかった事が徐々に深い所での理解に繋がるのかな!?

人間ってもともと全ての感覚を使って、感じたり理解するものなのかもしれません。

そう思うと、触れて芸術を鑑賞するっていうのも、良いのかもしれませんね。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

[2011/04/28 19:29] | 日記 | page top
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