今日は、全生園の隠れた史跡の後篇です。
昨日の最後にご紹介した「最初の火葬場跡」から居住区を結ぶ中央通りにでました。 ![]() 所々、入所者が生活しているのが分かりますが、現在ではかなり空き家が多いです。 村上梅林という梅林の側にあったのが、「豚舎と牛舎跡」。最盛期には、豚550頭、乳牛3頭などが飼育されていたそうですが、今は面影もありません。 ![]() その少し奥にあったのが、「築山(望郷台)」。 ![]() この上からは、富士山や秩父の山並みも見え、患者達はここから家族を思い涙を流したそうです。私も登ってみたのですが、夏で木々が生い茂りすぎていたせいで、ほとんど外は見えませんでした。 ![]() 築山を降りて、少し林を進んだ所にあるのが、「敷石道」。 ![]() さらに奥には、「秩父舎跡」がありました。北条民雄の「いのちの初夜」はここで書かれたそうです。 ![]() この辺り一帯には、教会や仏教系の施設が多く、入所者達の中には信仰を支えにしていた人々もいたことが想像できます。 そして、「礼拝堂跡」もありました。 ![]() そこから数十メートル離れた所にあったのが、「開所当初の墓地跡」です。 ![]() 松の根元に約80人の方々が埋葬されているそうです。 少し離れた場所にあるのが、「見張所跡」。現在は福祉課となっていますが、昔は24時間体制で囚人のように監視が行われていたそうです。 ![]() 正門方面へ戻っていく中にあったのが、「洗濯場跡」。療養生活は、患者自身の低賃金作業によって支えられており、ここはその一つです。 ![]() 最後に17番目の案内板として、正門近くにあったのが、この「樫の木の列」です。 ![]() 患者が訪れた人を見送る事ができたのは、この樫の木のあたりまでだったそうです。 これで全生園の隠れた史跡のご紹介はお終いです。ハンセン病資料館も無料ですので、興味のある方は、一度くらい行ってみても損はないと思います。 最後に、全生園で撮った写真を一枚。 ![]() |
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